中国短期留学レポート
人間文化学部 久保田 逸子さん
中国短期留学レポート 内蒙古民族大学(中国内蒙古自治区通遼市)
1.留学期間
平成24年8月15日から平成24年9月24日
2.霍林郭勒(ホーリンゴル)への旅行
私の短期留学中、偶然にも県大の大田学長一行が友好協定締結のために内蒙古民族大学にいらっしゃった。そして、幸運なことに、大田学長や民大の先生、ブレンサイン先生一行の霍林郭勒への一泊旅行に、私も同行させていただくことになった。霍林郭勒は通遼と違い、広大な草原が広がっていた。どこまでも続く草原と青い空の組み合わせは非常に美しかった。日本では体感することのできない美しさだと思った。馬やラクダにも乗せてもらった。人生初の体験であった。そのような美しい自然がある一方で、草原が巨大な炭坑に変わってしまっている場所もあった。近代化による環境破壊を目の当たりにした気がした。別の場所には、巨大なチンギス・ハーンの像や兵馬俑を真似たような大量の兵士の像があった。そこはチンギス・ハーンに縁のある場所ではなく、観光用に造られたものであった。しかも、突貫工事で造られたらしく、所々破損していた。草原での馬乗り体験や、ゲルの中での食事などから、内モンゴルがモンゴル族の土地であることを観光の売りにしている部分が見受けられた。
3.中国人の印象
私は、中国人は親しい人に優しく他人に対して冷たいと思っていたが、そうでもなかった。通遼について2日目の朝、スーパーの場所がわからず見知らぬ女性に尋ねると、場所だけでなく開店時間なども教えてくれた。親切な人もいることがわかって安心した。ほかにも、ロバに車を引かせてスイカを売っているおばさんや、CD屋のおじさん、雑貨屋のお姉さんやおばさんたちなど、私の拙い中国語に付き合ってくれる方がたくさんいた。中国人の友達と2人で入った飲食店では、それまで面倒くさそうに接客をしていたお姉さんが、私が日本人だとわかると笑顔になった。その後も1人で何度もその店に食べに行ったが、いつもそのお姉さんが笑顔で迎えてくれた。友達は「中国人は自分の国の人には冷たいけど、外国人には優しい」と言っていた。ほとんどの中国人は日本人が好きでなく、日本人に対しては冷たいのではないかと思っていたが、優しい中国の人たちに出会って、現地に行ってみないとわからないこともあると痛感した。中国で反日的なことが起こると、日本ではそれが大きく報道される。そのような報道は、まるで中国人全体がそうであるかのような印象を日本人に植えつけてしまう。今、尖閣諸島を巡って日中関係は悪くなっている。日本のテレビでは中国人による暴動が大きく報道されたようだが、暴動を起こすような中国人は一部だということを理解しておかねばならないと思う。
私が中国で暮らして感じた中国人の良い所がある。それは、「謝謝」と言うと、「不謝」や「没関系」とさりげなく返してくれる所だ。日本にも「どういたしまして」という返し言葉があるが、私は日常生活であまり使わない。中国人にとっては当たり前のことだろうが、「ありがとう」に返事が返ってきてこんなに嬉しい気持ちになるとは今まで気付かなかった。しかし、友達に対して「ありがとう」と言い過ぎるのはあまりよくないようだ。日本には「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があり、私は些細なことでも友達に「ありがとう」と言ってしまう。中国でも、友達に何かしてもらうごとに「ありがとう」「ありがとう」と言っていたら、「もう言わないで」と言われた。中国人の間では、友達のために何かをするのは当然のことで、いちいち「ありがとう」と言うと、かえって距離を感じるらしい。これはモンゴル人も同じらしく、モンゴル人の友達も私が「ありがとう」と言うと呆れた顔をした。文化の違いを感じた。
中国人の良い所は他にもある。私が最初に住んでいたアパートの周辺では、毎日おじいさんやおばあさんが集まって、外でトランプやお喋りをしていた。自然に人が集まる、という感じで、毎日楽しそうだった。夜の公園は、老若男女問わずたくさんの人がいて、集団で踊ったり、出店で何か買ったり、散歩をしたりして賑わっていた。このように、中国では、外に出て人と交流することが盛んに行われている。これは中国人の良い所だと思う。また、中国の多くの大学生はアルバイトをしておらず、大学の寮に住んでいるので通学に時間もかからない。なので、毎日ゆとりのある生活をしている。彼らは自由な時間を好きなように使っている。日本人にそういう余裕はあまりないように感じる。日本のほとんどの学生はアルバイトをしていて、そのせいで学業を疎かにすることもある。中国での生活は、自分にとって価値のある時間の使い方とは何なのか考える良い機会となった。
また、良い部分だけでなく、中国人の理解できない部分も発見した。まず、道につばを吐き捨てる行為は汚いのでやめた方がいいと思う。あと、驚いたのは、服屋の店員が、普通に店内で食事をしたり寝たりしていることだ。日本でそんなことをしたら、すぐに「接客態度が悪い」とクレームがきそうな光景だった。また、大学に新しくできた図書館に連れて行ってもらった時、これぞ中国クオリティー!と思わずにはいられなかった。その図書館はとても大きく立派で、自習室やパソコン室もあり、学生が学ぶ場所としては充実していた。とにかく豪華な造りで、かなりの費用を使って建てられたのはよくわかった。しかし、日本人の私は、壁に空いた穴や欠けたり汚れたりしている床が目について純粋に凄いと思えなかった。もう少しで完璧なのに細かいところが雑で、そこが残念だった。トイレも豪華なトイレであるはずなのに、使う人のマナーが悪いため汚かった。細かいところが雑であることに中国らしさを感じた。
4.モンゴル族と漢族
内蒙古民族大学の日本語学科は、モンゴル族のクラスと漢族のクラスに分かれていた(漢族のクラスの方には満州族の子もいた)。そもそもモンゴル族と漢族では通う小学校も違うらしい。モンゴル族の人たちが最初に習得する言語はモンゴル語で、小学3年生から中国語を習い始める。モンゴル族の人たちは、民族意識が高く、モンゴル族の言語や文字を大切にしている。子どもたちへの民族教育に対しても熱い思いを持っていた。モンゴル人のルームメイトに聞いた話だが、通遼では年に1、2回モンゴル族の人たちが外で集まり、紙に文字を書いたりして自分たちの民族をアピールするらしい。デモのようなものかもしれない。その時は一時的に漢族とモンゴル族の仲が悪くなる。ルームメイトによると、漢族の人はモンゴル語が話せないので、モンゴル族同士がモンゴル語で話をしているのを見ると漢族の人は不快に思うらしい。これには私も思い当たることがあった。私が漢族・モンゴル族の友達と一緒にいる時、モンゴル族の2人がモンゴル語で話しており、それに対して漢族の子が「モンゴル語で話されると私たちは分からないでしょ!」と怒ったのだ。この時モンゴル族の彼らは何も言わなかったが、本当は言い返したいことがあったはずだ。彼らのうちの1人は漢族の人がいない所で、漢族のことが実はあまり好きではないと言っていた。
異なる民族が同じ土地に住むのは難しい。私は、内モンゴル自治区は本来モンゴル族の土地であるのだから、たくさんいる漢族の人たちにも小学校のうちからモンゴル語を教えて、自治区内の公用語をモンゴル語にするべきだと思う。しかし、内モンゴル自治区への漢族の流入は甚大で、今のところ数には勝てないのが現実だろう。
5.「内モンゴル人」と「外モンゴル人」
私は、内モンゴルに住むモンゴル族の人たちとも、モンゴル国から留学に来ているモンゴルの人たちとも交流することができた。2つの国の「モンゴル族」の人と接して、内モンゴルに住むモンゴル族の人たちが非常に複雑な立場にいることがわかった。
内モンゴルのモンゴル族の人は、モンゴル国のモンゴル人を仲間だと思っている。そして、モンゴル国の発展を願っている。しかし、モンゴル国の人々は内モンゴルの人々を仲間だと思っていない。私はルームメイトのモンゴル人留学生の女の子(21歳)に、内モンゴルのモンゴル族の人たちは仲間なのか聞こうとした。「あなたはモンゴル族。そして、内モンゴルにもモンゴル族がいる。」と言った時点で、彼女はとても困った顔で「私たちは外モンゴル族。彼らは内モンゴル族。同じではない。」と言った。また、別の日に、モンゴル国から来た中国語中級クラスの18歳の女の子に「内モンゴル人は好き?」と聞いてみたら「嫌い」と即答された。「モンゴル国はモンゴル国で一つの国だし、内モンゴル人は中国人だから全然違う」と説明してくれた。一緒にしないでという気持ちが伝わってきた。日本語学科のモンゴル族の人が「モンゴル国の人は僕たちのことを裏切り者だと思っている。」と言っていたが、そのとおりかもしれない。
私はモンゴル国からの留学生の寮に入りモンゴル人と一緒に生活していたが、確かに2つの「モンゴル族」は別物だと感じた。元々、私はモンゴル人に対して素朴なイメージを持っていた。しかし、モンゴル国のモンゴル人に会って、そのイメージは吹き飛んだ。彼らは、ウランバートルのような都市から来ている人が多く、洗練されていた。雰囲気も内モンゴルのモンゴル族の人たちとは違う。わかりやすく例えるなら、「内モンゴル人」は中国人で、「外モンゴル人」はアメリカ人と言う感じだ。私は、内モンゴルと外モンゴルは一つの国にはなれないと感じた。内モンゴルの人々がこれからどういう風になっていくのが正しい道なのか私には全く分からなくなった。
6.日中友好のために
9月11日に日本が尖閣諸島を国有化し、中国国内で反日デモが行われるようになった。私は、11日以降もそれまでと同じように1人で外出していたが、15日以降はそれが出来なくなった。民大の白先生に「一人で外出しないように。外で日本人かと聞かれたら韓国人と答えるように。」と言われ、私はとても悲しくなった。日中関係が悪くなっていることは家族との電話で知っていたが、通遼の人たちは優しいし、私には関係ないと思っていた。白先生からの電話で初めて、日中関係が悪化していることを身近に感じ、どうして日本と中国は仲良くなれないのかと悲しくなった。そんな時に、感動する出来事があった。日本語学科の学生さんと一緒にいる時に、テレビで尖閣諸島についてのニュースが流れた。彼はそれを見て、「僕たちには関係ない話だ」と言ってくれた。この言葉は本当に嬉しくて、私の人生で最も感動した言葉になった。確かに、個人の関係に領土問題なんて関係ない。私はそれからしばらく外に出ず部屋にいることが多くなった。外出するときは日本語学科の友達が一緒に来てくれた。みんな「私たちが守るから大丈夫」と言ってくれて、良い友達に恵まれたと思った。
私は政治に影響されない強い絆を中国の人たちと結びたい。私が今大切にできるものは、通遼で出会った友達との絆だ。本当に優しくていい人たちで、日本に帰ってきてからもメールで連絡をとっている。10月から日本に留学に来ている子もいるので、ぜひ会いたい。日本人と中国人、個人で繋がりを持っている人はたくさんいるし、互いの文化が好きな人もたくさんいる。私は、民間の交流は政治とは関係なく盛んに行われるべきで、それによって日中は友好関係を築けると考える。
日中関係について考えることもできたし、私は今年この時期に中国に行けて良かったと思う。
(2012年11月)